当研究所のある甲府について、宝石の観点からご紹介します。甲府盆地は、周囲を富士山をはじめとする3000メートル級の山々に囲まれて、日本のへそのような場所に位置しています。2000万年前日本が海の底であった時、アジア大陸に押し寄せる太平洋プレートとフィリピンプレートの圧力で、しわが寄るようにこれらの山脈が押し上げられました。活発な造山活動と火山活動によって、この地下深くから、断層の隙間や近くの脆い部分を破って吹き上げるマグマで、甲府盆地はさながら煮えたぎる釜の様相を呈していたことでしょう。後に甲府の地から採掘された水晶は、この過酷な条件のもとで長い年月をかけて誕生しました。
甲府市のホームページ
[人と自然にやさしさあふれる街]
水晶の産地から発展した宝飾産業
甲府市の中心部より北に10kmほど行った花崗岩帯に昇仙峡があります。
風化により花崗岩の固い部分だけが残った奇岩怪石の景勝地です。ここから荒川をさかのぼった金峰山一帯が、山梨県の宝石産業発祥のきっかけとなった水晶産出の地でした。甲斐の国で採れた水晶は、室町時代にはすでに京都で玉や数珠に加工されていたと言われています。
また天保時代には、その研磨加工技術と生産拠点が甲府に移り、明治時代に水晶の採掘が推奨されるようになると研磨加工職人が飛躍的に増え、甲府で加工された水晶製品は海外にも輸出されるようになりました。
そして今、“宝石の街・甲府へ”
そして戦後、国際貿易の発達と共に甲府は水晶のみならず様々な宝石を取引、加工する業者の集まる街となりました。現在でも国内の宝石品の3分の1は甲府で製造されています。たくさんの個性豊かな業者の方々と、彼らの扱うさまざまな宝石に甲府は溢れています。
このようにいまや世界的に有名な集散地となった甲府にわれわれは生まれ、その宝飾業界の更なる発展に貢献すべく、日々研究にいそしんでいます。